原付 HONDA Live Dio S(ホンダ・ライブディオS)廃車

2021年のバイクの日(8月19日) 20年間7万kmを走破した愛車の原付 HONDA Live Dio S AF34(ホンダ・ライブディオS:AF34)の廃車を決めた。

8月18日、走行中にドライブベルトが切れた。アクセルをひねればエンジンは吹き上がるけど、動力がタイヤに伝達せず、そのままゆっくりと停車した。すぐに路肩へ移動したので、後続車には迷惑をかけずに済んだ。

ドライブベルトの故障はこれで3回目。切れた瞬間に『あ。またやった』とすぐにわかった。

たまたま偶然だが、2年前に2度目のドライブベルトが切れた際、修理してくれた自転車バイク輪業店の近くだった。とはいえ、700mほど、ひたすら押して歩いたわけだが。

原付を持ち込んだ輪業店に事情を話す。修理の見積もりには、故障したと思しき駆動系をばらして確認しないとわからないとのこと。1~2日ほど必要と言われた。

この時はまだ、ドライブベルトを交換すれば動くところまでは復旧できると思っていた。

翌8月19日(バイクの日) 輪業店から電話連絡が来た。どうやらドライブベルトの交換だけでは済まない様子が伝わってくる。最低でも複数の駆動系部品の交換が必要らしい。

ただならぬ……と言うと大げさだが、単にベルトの交換を依頼するだけでは済まないらしい。一度、パーツの状態を確認に来てほしいと言われた。すぐにチャリで輪業店へ向かった。

輪業店に着くと、愛車Dioから外された駆動系パーツ群が作業ケースの中に広がっていた。グチャグチャにブチ切れたドライブベルトは当然ながら、外された他のパーツも、ことごとく傷と歪みで無残な状態を晒していた。

輪業店の店主いわく、エンジンはまだ吹き上がるけど、駆動系がほぼ全滅に近いとのこと。修理部品は純正どころか、互換パーツですら入手困難で、トータルの修理費用は安くても5万5千円から。他にも摩耗や損耗したパーツを交換すると、恐らく6~7万円以上はかかるだろうとのことだった。

あのスーパーカブでさえ、一般的な寿命は7万kmぐらいという話もある。Dioはごく普通の原付スクーターで、20年間で7万kmを走ったのだから、さすがに寿命と言わざるを得ない。

これまでにもマフラー2回、バッテリー2回、エアクリーナー、ダンパー前後、それぞれ交換した。駆動系も前述のドライブベルトを2回、ウェイトローラー、ブレーキシューも交換した。ライトやミラーもあちこちガタが来て、そのつど調整してきた。ハンドルもいつしか真っ直ぐではなくなり、微かに左に角度がついていたのを調整しながら運転していた。最近はオイル漏れがひどく、エンジンがなかなか掛からず、キックでようやく掛かったと思えば、しばらくモウモウと白煙を撒き散らしながら走っていた。(2ストなのでガソリンと一緒にオイルも燃焼するため)

そう。どこからどう見ても寿命……なのだが、アクセルをひねればエンジンはまだ吹き上がった。本体フレームは歪んでいないし、外装カウルも割れたりしていない。

だが、いくら20年間7万kmを走った無二の相棒でも、駆動系が全滅状態で、過去にも修理や部品交換を繰り返してきた。今回の修理費用が6万も7万もするとなれば、さすがにもう寿命と言わざるを得ない。そもそも交換部品が調達できるかどうかもわからないのだ。

修理を依頼するかどうかの返答は保留し、一度帰宅して検討させてほしいと伝えた。

……が、チャリで帰りの道すがら、何をどう検討しても修理は絶望的であるという事実しか出てこなかった。登り坂で重いペダルをこぎながら、廃車の二文字が脳裏に刻まれていった。

仙台は坂が多く、車は渋滞が酷い。しかし、街の中心部には駐輪場がそれなりに充実している都市でもある。東北だが太平洋側のため、冬もあまり雪は降らないし、積もっても数日で路面は乾く。そんな仙台という都市において、原付は買い物も通勤も最強の足だった。

海沿いも川沿いも走った。山も峠も越えた。桜も紅葉も一緒に見た。蔵王も越えた。秋田と山形と福島を一日で縦走したこともあった。記憶の場所さがしに何度もつきあってくれた。

廃車は悲しい。

マメなメンテをしていたわけではなかった。カスタムパーツで特別な改造をしていたわけでもない。あくまでも移動手段の道具として使っていただけのつもりだった。しかし、廃車を決めてからは、自分でも思っていた以上に愛着を感じていたことに気付かされた。

廃車は悲しい。

今回の故障が起きる前、実は去年の秋あたりから調子は悪かった。いつ限界突破して寿命が尽きても不思議はないと覚悟はしていた。無くなったら不便だな~次はどうしようかな~程度の感情しかなかった……つもりだった。しかし、いざ廃車を決断したら、思っていた以上に喪失感ロスを感じている。

廃車は悲しい。

しかし、現実は厳しい。

悲しいが、廃車を決めた。

思えばどこへ行くにも原付Dioに頼りっぱなしだった。どこにでも行ってくれたし、事故も起こさず帰ってこれた。 アクセルを吹かせばエンジンはまだ吹き上がる。きっとまだ自分は動けると言っている。でも、もう直してやれない。

エンジンが壊れて回らなくなるまで乗りたかった。でも、それはそれで酷使の末に死なせてしまうような罪悪感もあった。エンジン故障だと、下手をすれば事故を起こすかもしれない。

だから、今回ゆっくりと停車できるドライブベルトの破損という故障は、Dioが気を利かせて、やんわりと引退を教えてくれたのかもしれない。そう思うことにした。

廃車は悲しいけど、せめて最期は感謝の言葉で見送りたい。

8月20日、まだ迷いと未練で輪業店に廃車の意思を伝えられず。

8月21日、電話で輪業店へ廃車を伝えた。

8月23日、週末を挟んで明けた月曜、再び輪業店に赴き、バラしたままのDioを眺めながら、正式に廃車を依頼。

8月24日、区役所で廃車手続きを済ませ、廃車証明を入手した。

8月25日、輪業店に廃車証明を渡した。これで廃車を委任された輪業店は、Dioを解体処理できるようになる。

輪業店に到着した時、ちょうど運び出されるところだった。Dioは軽トラの荷台に積まれていた。

おととい23日に廃車依頼で訪れた時、それが見納めと思っていたので、動かないDioにまたがらせてもらい、アクセルを回して、別れの言葉を残すことができた。

しかし、この日、軽トラに積まれて紐で固定されたDioの姿を見たら、本当にもう廃車になるんだな……と、しんみりしてしまった。この後は廃車置場に野ざらしにされるか、スクラップ工場でバラされるのかもしれない。それを想像すると本当に泣きそうになってきた。店主に涙を見せるわけにもいかないので、それ以上は考えないようにしながら、そそくさ店を離れた。

愛車Dio

20年間、7万km、お疲れ様

お前は本当に良い相棒だったよ

たくさんの景色と風と季節とワクワクをありがとう

2007年8月15日 まだまだ元気だった頃の愛車Dio 蔵王エコーラインにて
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