後悔しない人生に必要だと思うこと

ども、さとけんです。明日は世間がクリスマス・イブでにぎわう裏で、僕は50歳を迎えます。

30代は、仕事鬱などの虚無で終わりましたw

40代は、最初の年が東日本大震災の年(2011年)でした。震災からあっという間に10年が過ぎたのと同じ感覚で、僕の40代の10年間もあっという間に過ぎてしまいました。おまけにラスト2年間はコロナ禍です。

精神年齢はさっぱり成長しないのに体ばかり老いていくという現実に、誰ともなしに恨み言をぶつけたいところですが、そんな八つ当たりはさておき、40代最後の日に思ったことを書き連ねてみました。

目次

やりたい事に今すぐ手を付ける

後悔しない人生に必要だと思うことです。まぁこれは僕の持論ですから、そうじゃないと思う人がいても、それはそれで普通だと思います。

『そんなの当たり前じゃん』と思う人もいるでしょう。そう思えるということは、きっと後悔の少ない生き方をしてきたと思います。誇ってください。

僕はそれが当たり前の事としてやれなかったし、やろうやろうと思いながら後悔してきた事ばかりでした。だから歳を重ねるごとに痛感するのです。

興味関心には旬や賞味期限がある

もし『やりたい事』『やってみたい事』『やっておかないと後悔しそうな事』があれば、今すぐに始めたほうがいいです。今すぐです。

もう深夜で今から行動できないのであれば、手帳でもメモ帳でもいいので、明日の行動予定に『○○を始める』『○○について○○する』といった宣言を書いてから寝ましょう。それこそが『やりたい事に今すぐ手を付ける』なので。

それをしないで寝てしまったら、昨日までと同じ先延ばしを選ぶことになります。明日になれば、もう行動しないです。多分。

興味関心には旬や賞味期限があります。

旬を過ぎると、あれほど興味があったはずの事に対して『なんかもういいや』と醒めてしまったりすることが多々あります。

しょせんその程度の興味関心だったのかもしれません……が、もしかしたら『酸っぱいブドウ』の寓話のように、行動しなかった自分を無意識に慰めるための言い訳かもしれません。

今は忙しいので後からやろうと思っても、勝手に暇ができるなんてことは恐らくありません。また、時間ができたらやろうと思っても、自分で意識的に捻出しなければ、自然に時間が空くこともありません。

そうやって先延ばすうちに興味関心は薄れ、情熱も醒めていきます。そして過去の興味関心を置き去りにして、また別の新たな興味関心に気持ちは移りますが、結局は同じように先送りを繰り返すばかり。

『まぁ仕方ないよね』

そんな誰に向けるわけでもない言葉をつぶやきながら歳を重ね、最後にはきっとこう思います。

『でも、やっぱりあの時、やっておけばよかった』

と。

『あの時に始めていたら、今ごろ全く違う人生になっていたかもしれない』

と。

だから、興味関心のある事をほんの少しでも、小さな事でもいいから、まずは始めてしまう── それだけのことで、かなり後悔を減らせると思っています。

実際に始めてみて『思っていたほど興味のある事ではなかった』のであれば、そこでやめればいいだけの話。それで後悔することはないでしょう。

逆に、やらない後悔は延々と引きずります。

多分、死ぬまで。

始めたからには徹底的にやりきる

せっかく興味関心を先送りにせずに始めた事でも

『もっと真剣にやればよかったなぁ……』

『ここまでしかできなかった……もっとやりきればよかった……』

そう思うこともあるでしょうけど、後悔はなるべく残さないほうがいいに決まってます。

まぁ継続するほうが始めるよりも断然難しいのですが……そんなことは、まず始めてから悩めばいいので。

何かを始めるならばモチベーションアップのテクニックを活用するのが手っ取り早いですが、継続はモチベ頼みだけだとすぐに息切れして挫折します。

継続に必要なことは習慣化なので、仕組み化したり、環境を整えたり、雇われ労働のように半強制的な行動システムを構築したり…… まぁそのあたりの話はまた後日。気が向いたら。

後悔は少なめの My Life(にしたい)

というわけで、50代を迎えるおっさんが40代最後の日に思ったことでした。

いや、昔からずっと思ってきたけど、人生の折り返しを過ぎて残された元気な時間が限られていると自覚すると、歳を取るごとにより強く感じるので……

残された時間で何を選ぶか? 何を叶えるか?

後悔は少なめの Yo Life(余生)にしたいね。

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