いつの頃からだろう?
政治家や経済団体のお偉いさんが、カラフルな円形のバッジをこれみよがしに胸元へと付けているのを、テレビで見かけるようになったのは。
SDGs(持続可能な開発目標)
どうやらそのドーナツ状のバッジは、SDGsなる取り組みを示すものらしい。ミスタードーナツのキャンペーンではなかった。
最初はSDGsを誤解していた
当時はネットで軽く調べただけで、興味が尽きてしまった。
SDGsなる単語を『持続可能な開発目標』という日本語に訳されても、さっぱり意味がわからなかったからだ。意識高い系の環境保護活動家による、意識高い系アピールか何かなのだろうと思い込み、それっきり他人事へと追いやった。
その後もチラチラ見かけることはあったが、世間へ浸透するというほどでもないまま、数年が過ぎた。
しかし、コロナ禍になるかならないかの頃から一変した。
テレビもネットも、猫も杓子も、朝から晩までSDGs、SDGsと念仏のように唱え始めた。夕方のローカル番組の情報コーナーにまでSDGs紹介コーナーが設けられ、連日放送されるのを見てゲンナリするほど。
ちょうどヒステリックな環境保護団体や活動家が、自分たちの先進的な暮らしを棚に上げて押し付けがましい運動で目立ち始めていた時期でもあったので、少なからずその手の話に関連しているのかと思い、正直、辟易していた。
改めてSDGsについて調べてみた
調べてみたら、環境保護を目的とした意識高い系の運動ではなかった。むしろ環境保護は手段に過ぎなかったことがわかった。
誤解を恐れずにSDGsを表現するなら、徹頭徹尾『人類本位』であること。
逆にそこが気に入った。
声高に環境保護を訴える意識高い系の連中は、エアコンやらスマホやらクルマやら先進国の恩恵に与る暮らしを送りながら、環境保護活動と称して化石燃料をバンバン使う飛行機で移動する。自分たちに都合の悪い指摘は無視しながら、都合のいい主張のみを正義の拳に転じる。さも神の使いにでもなったかのように愚民を教え導くことに酔い、驕り高ぶりを自覚もせずに他者を糾弾する。
自分はそういう身勝手な理論武装で他者の権利を奪おうとする、テロリストまがいの環境保護団体や活動家が大嫌いだ。
しかし、SDGsはそうではなかった。
むしろ綺麗事で飾り立てる環境保護活動家の連中に現実を突き付け、一石どころか17石を投じ、169のさざなみを起こしている。
SDGs 17のゴール(理想)
SDGsには『17のゴール(理想)』と『169のターゲット(達成目標)』が提示されている。期限は2030年。
▼SDGs 17のゴール
- 貧困をなくそう
- 飢餓をゼロに
- すべての人に健康と福祉を
- 質の高い教育をみんなに
- ジェンダー平等を実現しよう
- 安全な水とトイレを世界中に
- エネルギーをみんなに そしてクリーンに
- 働きがいも経済成長も
- 産業と技術革新の基盤をつくろう
- 人や国の不平等をなくそう
- 住み続けられるまちづくりを
- つくる責任 つかう責任
- 気候変動に具体的な対策を
- 海の豊かさを守ろう
- 陸の豊かさも守ろう
- 平和と公正をすべての人に
- パートナーシップで目標を達成しよう
これらを見てもわかるとおり、最初に掲げられた3つのゴールは『貧困をなくそう』『飢餓をゼロに』『すべての人に健康と福祉を』であって、環境保護が第一目的ではない。(実現のために環境保護「も」必要であることは当然織り込み済みだが)
環境保護をゴールとしているのは13、14、15番目だ。環境保護はあくまでも人類が持続可能な開発目標を達成するための手段であり、環境保護自体を目的とする話は後回しともとれる。
これが意識高い系の環境活動家にかかると、SDGsで地球にやさしく!とか、地球と自然のためには人類の犠牲もやむなし!みたいな、本質からズレた押し付けがましい主義主張の強要になる。
連中の環境保護至上主義はもはや宗教だが、その理屈でいけば地球の寄生虫やがん細胞とも言える人類が全滅することが、地球にとって最もやさしい世界を生むことになる。まずは意識高い系の皆さんから命を絶ってみてはいかがだろうか?
それに自分は経済的に豊かな人生を送りたいし、先進国の文明の利器を捨ててまで地球にやさしい原始的な生活を送りたいとは思わない。エゴ丸出しの愚か者と罵られようが、日本という国に住んでいる『ある種の特権』を、狂信的な活動家のために手放そうとは思わない。
自分は別に環境保護が悪いと言っているわけではない。都合のいい主張で他者の権利を侵害し、一方的な正義のイデオロギーを拳にかえて振り上げる、そんなテロリストまがいの極端な活動家が嫌いなだけだ。
SDGs 169のターゲット(達成目標)
これは割愛。興味があれば以下のサイトで確認してほしい。
外務省のSDGsページは、行政特有の文字をギッシリ詰め込みまくったクソみたいなポンチ絵パワポ資料が多く、おまけにPDFリンクばかりで読む気にならない。(ホント『そういうとこだよ』と言いたくなる)
なので、ざっと知りたければWikipediaがいい。
もっと噛み砕いて知りたい場合は、SDGsを推進する一般社団法人イマココラボのサイトがとてもわかりやすい。
日本のSDGsはメディアに食い荒らされている?
ここ数年、やたらとテレビやネットといったマスメディアでゴリ押しされている感のある日本のSDGs。
まぁ『コロナ禍で生存が脅かされる人類は、今こそ世界的な視野で目覚めなければならない』という崇高(?)な理念のもとで取り沙汰されている面も少なからずあるのだろうけど……
ぶっちゃけ、広告代理店が企業を煽るための、新たなメシのタネになってないか?
『時代はSDGsッスよ! SDGsを掲げていない企業は生き残れないッスよ!』
……みたいに煽られて、ろくに理念も解さず、やってる感を出すだけのSDGsウォッシュな企業が溢れている印象が強い。LGBTで煽るターンが一段落してしまったので、今度はSDGsで煽ろうということか? 広告代理店はウハウハだ。
SDGsウォッシュとは、実際にはロクに取り組んでいないのに、さも意識高くSDGs活動に取り組んでいるかのように見せること。ごまかしや粉飾を表すホワイトウォッシュから来ている。
SDGsウォッシュを指摘されたユニクロ
ウイグル自治区で生産されるユニクロの一部製品が、ウイグル人の強制労働によるものではないか?と疑いがある。
コメントを求められた社長の柳井氏が『ノーコメント』と言ったことから風向きが悪くなった。黙認もしくは容認と取られたからだ。
いくら国内でのSDGs活動が立派でも、海外でSDGsに反する企業活動をしていたらSDGsウォッシュにあたる。SDGsは世界的に達成すべきゴールであり、各国だけで完結すればいいという話ではない。人権侵害や強制労働といった許されざる暴力ならば尚の事。
SDGsを公言するリスク
SDGsの取り組みを公に示すということは、常に世間からの期待と評価に晒されているとも言える。相応の覚悟がなければ『SDGsやってます』などと軽々しく言えるものではないのだ。
SDGsは、いわば減点法の評価だ。ユニクロのように、他でいくら高評価を得ても、致命的なウォッシュの実態があるとみなされれば、それだけで評価は落ちる。
SDGsのバッジを誇らしげに胸元へ付けている人がいたら、声をかけて聞いてみてほしい。17のゴールを答えられるだろうか? 1番目のゴール『貧困をなくそう』が即座に出てくるだろうか? 2番目を言えるだろうか? ターゲット数の169という数字を言えるだろうか?
似たような話で、DX(デジタル・トランスフォーメーション)がある。
DXはただのIT化とは違う取り組みではなく、業務体系やシステムそのものをデジタルによって効率化・最適化していくことを言う。(大雑把な説明。詳細は割愛)
『我が社はSDGsとDXに熱心な取り組みをしている』
もしそんな自信満々の経営者がいたら、ぜひ具体的な取り組みを伺いたいものだ。
日本人が個人でSDGsに取り組む手っ取り早い方法は選挙の投票
だってそうでしょ? 17のゴールを見たら、日本が国家や行政として保障している項目がいっぱいあるよ。
憲法で基本的人権が記され、それを実現するために行政が存在する。行政や官僚を管理監督するのは内閣と大臣であり、内閣は国会の与党が担う。国会議員は選挙で有権者が決める。
日本には生活保護があるから、生活できずに死んでしまうようなホームレスは存在しないはずだし、子ども食堂を頼る飢えた子どもも存在しないはず。制度上は。
しかし、そうした人達が国内に実存しているということは、行政がきちんと機能していないということだ。日本国内のSDGs活動は行政にもほころびがあるが、それは致し方ない。いきなり理想が叶うことはないのだから。
だが、前進しているのだろうか? ペースは? 2030年に日本だけではなく世界において達成可能なのか? 達成しなかった場合の検証はされるのか? 責任はどこにある?
行政が正しく機能するためには、内閣と大臣による厳正な管理監督が必要だ。内閣は国会の多数派与党が担う。多数派与党の国会議員を選ぶのは国民だ。しかしこの国の有権者は、国で最も重要な選挙のひとつである衆院選でも、2021年は投票率が56%しかなかった。44%は投票しなかった。
日本国内のSDGsは、行政が機能すればでカバーできることがたくさんある。個人が一つひとつの課題をクリアするよりも、行政をまともにする方が手っ取り早いし効率的ではないだろうか。
だから、日本国内のSDGsを達成したければ、まずは選挙の投票に行くべきだと思う。
日本国内の個人のSDGs活動はゲーム感覚でもいい
選挙は有権者しか投票できない。子どもや外国籍の人は別な方法で取り組む必要がある。(間接的な政治活動やデモなどはできるが)
そういう人達は、169のターゲットをゲーム感覚で取り組むぐらいのレベルでもいいと思う。
SDGsは世界的な取り組みだが、いきなりそんな雲をつかむような話を押し付けられても、目標が遠すぎて誰も取り組まない。ユニクロのような覚悟を個人に求められても、少しズレただけで減点法で批判されるぐらいなら、萎縮して取り組もうとは思わないだろう。
他人事になってしまう。
別に個人がSDGsに取り組んでいることを声高にアピールする必要はない。『SDGsやってます!』とか『バッジ付けてます!』とか、わざわざハードルを上げる必要はない。下手をすればファッションSDGsなどと揶揄されてしまいかねない。個人的にできることを見つけ、日々少しずつ取り組むだけでも立派だ。
まずは考えてみるだけでもいいのではないか。
『自分ごと』として意識するだけでも、きっと無意識に日々の行動を変え、積み重なればいつしか大きな結果を生むことにも繋がるだろう。
SDGsというRPGのプレイヤーになるのだ。
17の大ボスと、169の中ボスを倒す旅だと思えばいい。
SDGsは、取り組み、経験を積み、レベルアップし、17のゴールへと到達するためのリアルRPGだ。