宮城県の海沿いにある小さな展望台を探しています。
昔、ドライブの途中、一度だけ立ち寄りました。
その後、思い当たる海沿いを訪れましたが、その小さな展望台はどこにも見当たりません。
海岸沿いを何度も探しに行きました。
あちこち歩いて確認をしました。
Googleマップの航空写真やストリートビューで何ヶ所も確認しました。
もしかして東日本大震災の津波被害で失われた?
でも、展望台どころか痕跡すら見つからない……
【記憶の場所】は一体どこに???
おおよその時期と場所
訪れた時期は、東日本大震災よりも前。(2011年3月11日以前)
海岸線に沿って気ままに北に向かうドライブでした。
当時はナビもスマホも無く、事前に行き先は決めていなかったので、地図も持っていませんでした。
多分、牡鹿半島よりも北。
多分、女川町の中心部よりも北。
多分、雄勝半島……あたり?
展望台の手前の道、景色、雰囲気
しばらく峠道のような杉林の中を進む、急勾配とカーブの連続。
展望台の直前は、数十メートルほど?の直線。
海面からの高さは、数メートルほど?
白線(センターライン)の有無は覚えていません。
対向車とのすれ違いを気にせずにドライブできるくらいの道幅。
(何となくラインはあったような気がします)
集落や民家からは少し離れた場所でした。
集落があったとしても、外側を迂回する感じだったように思います。また、民家はあったとしても、ポツ…ポツ…程度。にぎやかな集落の雰囲気や、道沿いに民家が何十軒も連なる記憶はありません。
ずっと対向車も後続車も無し。
歩いている人もいません。
どんよりと曇った午後で寂しい雰囲気でした。
このまま先に進んでも大丈夫だろうか?
そろそろ引き返した方がいいだろうか?
そんな気持ちを抱えつつ、右側に海を眺めながら運転していたら、ふと小さな展望台が現れました。
展望台の様子
※画像は拡大できます。
- ゆるやかな登りの左カーブ
- 道の右側に展望台
- 道の左側はコンクリ固めの急斜面
- 車を数台ほど停められるスペースあり
- 展望台は小高い台形状
- 駐車スペースから階段で登る
- 登ってすぐ右に小さな東屋
- 展望台は平面
- 広さはテニスコートほど
- 作られてからまだ数年?(当時)
- 小綺麗で古臭さはなかった(当時)
- 正面視界は遠くまで外海が見えた
- 木々や島で遮られていない
- 正面以外の視界はあまり覚えていない
- 左右視界には島や半島があったかも?
- 展望台の右側に海岸へ降りる階段あり
- ちょっと降りれば海岸の岩礁へ
- 高さはせいぜいマンション2~3階?
- 岩礁になぜか子供向け遊具?が点在
- 赤青黄のパイプ状の小さな遊具?
- 満潮で沈まないのかな?と思った
※岩礁のイメージ(記憶の場所の画像ではありません) 平らな岩棚の上に、なぜかカラフルな遊具が置いてあったのが不思議な光景でした。
展望台を過ぎた道の先、景色、雰囲気
ゆるやかな登りの左カーブを過ぎると、道は下り坂。
カーブを抜けて数百メートルと進まないうちに小さな集落へ入りました。
展望台から、その集落や民家は見えていませんでした。
遮る木々や岩があったのかもしれません。
もしくは、視界に入っていたけど気づかず見落としたのかも?
人も車もいない道をしばらく走り、誰もいない小さな展望台に着いて、どんよりと曇った不穏な空と海を眺める── そんな孤独や不安を感じる非日常的な感覚だったのに、展望台を過ぎたらあっけなく民家や集落に到着。
あっさりと現実に引き戻されたことに拍子抜けして、一人で苦笑したことを今でも覚えています。
ただし、その集落が一体どこだったのか、肝心なことを覚えていません。
東日本大震災の津波被害で失われた?
その後、2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。
もしかしたら展望台は津波で破壊されてしまったのかもしれません。
展望台の手前の道も海面に近い高さだったので、護岸工事や防潮堤工事によって今はもう無いのかもしれません。
でも、津波で破壊されたとしても痕跡ぐらいはあるのでは?
現地の探索とは別に、震災前の地図や復旧工事の情報を調べています。
これまでの探索状況
- 探索時期:2019~2020年の2年間
- 探索回数:現地へ10回ほど
- 重点探索地域:牡鹿半島、女川町、雄勝半島、南三陸町
- 補足探索地域:志津川、歌津、気仙沼
それらしき場所をいくつか調べましたが、どこも下記のように条件不一致ばかりでした。
- 左カーブだけど登り坂ではない
- 左カーブ陸側がコンクリ斜面ではない
- 道が狭すぎる
- 駐車スペースや階段が見当たらない
- 正面視界で遠くの外海が見えない
- 正面視界を島や半島が遮っている
- そもそも海から遠すぎる
- 海面から高すぎる
- 海岸(岩礁)に下りられそうにない
- 展望台の手前が民家や集落に近い
- 展望台を過ぎた道の先にあったはずの民家や集落が遠い
Googleマップでの調査
Googleマップの航空写真モードで、牡鹿半島~女川~雄勝半島~南三陸までの海沿いの道にある、それらしき左カーブの場所を調べても、展望台や痕跡は見つかりませんでした。
ストリートビューで確認しても、海面から高くて岩礁へ気軽に下りられる場所ではなかったり、駐車スペースが無かったり、展望台へ登る階段がなかったりしました。
それらしき場所をピックアップして、実際に現地を歩いて調べても、今のところ記憶の場所は見つかっていません。
実際に訪れた現地の探索状況
牡鹿半島~女川町の探索状況
牡鹿半島
そもそも牡鹿半島より北方面のまだ知らない海沿いの道をドライブする目的で行ったので、雰囲気の似た場所があったとしても違うはずです。
ですが、当時はナビもスマホも地図も持たずに走っていたため、勘違いをしている可能性もあります。
自分では牡鹿半島よりも北(女川町から北方面)を走っていたつもりで、実は牡鹿半島からまだ出ておらず、半島東側の細い道を走っていた可能性もあります。
ただし、その道は海面よりもかなり高い場所を通っていますし、海からも遠いです。
また、途中で宮城県道41号線にぶつかり、女川原子力発電所のすぐ近くを通りますが、当時のドライブで女川原発がらみの景色を見た記憶はありません。
車や原付で現地を何度も探索しましたが、それっぽい左カーブの場所を調べても、どれも決め手に欠けていました。
女川町
女川町は、女川湾を挟んで女川原発のある牡鹿半島と、雄勝に接する北側があります。
町の中心は、女川湾の奥にある女川港の周辺。
地理的にも、北半分と南半分の中間地点です。
町の中心から北方面に向かい、海沿いを国道398号線が通っています。
リアスブルーラインとも呼ばれる区間です。
リアスブルーラインは最初、視界のほとんどが女川湾に占められています。
女川港から2kmほど離れた場所に、女川湾を一望できる崎山展望台があります。(現在は封鎖中)
女川町/崎山展望台(崎山展望公園)
左カーブですが、展望台に面した所はゆるやかです。
記憶の場所はカーブの先が見えませんでした。
展望台の場所もかなり高いです。
海に下りられる階段もありません。
駐車スペースが広いです。
記憶の場所はせいぜい2~3台ぐらいの狭さでした。
また、道路と展望台の高さが同じです。
駐車スペースからの階段がありません。
東屋や遊具もありますが、ここの東屋は入口正面にあります。記憶の場所の東屋は階段を登った右側でした。
また、記憶の場所の遊具は展望台ではなく、岩礁に置かれていました。
眺望も外海を眺める感じではありません。ここは牡鹿半島や出島が視界をふさいでいます。
地理的にも女川町にほど近く、記憶の場所のように寂しい海沿いの道をしばらく走った場所という感じではありません。
そもそも国道398号線は主要幹線道路なので交通量が多く、大型車両も頻繁に通ります。
当時のドライブでは、対向車も後続車も無い状態を何分も走った記憶があります。『この先をこのまま進んでも大丈夫だろうか?』と不安がよぎるぐらいには、海沿いの孤独なドライブでした。
女川町北部
女川湾を抜けた先の国道398号線は、あまり海に近い場所を通っていません。また海側に目を向けたとしても、正面視界には出島があります。記憶の場所で眺めた海は、少なくとも正面視界は外海が見えました。
女川町のリアスブルーライン後半、指ケ浜から北は、海側の正面視界で外海が見えるようになります。
しかし、海から100m以上も内陸です。
また、海面をかなり下に見る高さです。
昔のうねった道を貫くように新しい道がまっすぐに整備されていますが、工事は震災よりもずっと昔の話でした。
Googleマップで見るとそれらしき左カーブもありますが、条件不一致が多く、実際に現地を訪れても、やはりここではないという感覚でした。
女川町から雄勝湾へ向かう途中/波板海水浴場の手前
国道398号線(リアスブルーライン)は主要幹線道路なので、常に交通量が多いです。
波板海水浴場と波板漁港の手前に、それっぽい左カーブ、使われなくなった旧道、何かの痕跡がありました。
しかし、旧道が廃道になったのは震災よりもかなり昔なので、津波被害とは無関係でした。
そもそも海面からかなりの高さがあるため、気軽に下りていけるような場所でもありませんでした。
その先は雄勝湾の最奥部へ向かうため、正面視界に外海を眺められる場所がありません。
外海を見るためには、雄勝半島の東端まで行かなければなりません。
雄勝半島の探索状況
雄勝半島はもっとも可能性が高い?と考え、何度も訪れました。
- 交通量の多い国道398号から外れる
- 地元民しか使わない宮城県道238号線
- 民家や集落はポツポツと点在する程度
- 木々が茂った峠道が続く不安や孤独感
- 外海が見える
しかし、実際に訪れてわかったこと。
- 県道238号線は割と海から離れている
- 海面から高い場所がほとんど
- 漁村の集落に入らないと海沿いに道がない
- 集落の道は狭く、ドライブ感覚では走れない
展望台らしき痕跡も見つかりませんでした。
以下、雄勝半島の詳細です。
雄勝半島/桑浜羽坂
道は海面から高いです。外海が見える場所もありません。
南東端には、白金神社と白銀灯台があります。
道は行き止まりなので、ドライブで走り抜けられる場所ではありません。
Googleマップの3D立体表示だと低く見えるのですが、実際に行ってみると海面からはかなりの高さです。灯台からの眺めは最高でした。
雄勝半島/熊沢~大須
熊沢までの道は、鬱蒼とした木々で峠道っぽい雰囲気です。記憶にある途中の道の景色はこんな感じでした。
ただし、かなり海から離れています。海面からも高いです。海沿いの左カーブはありません。
廃校となった石巻市立大須小学校から、大須崎灯台や大須漁港のある大須までは、民家や集落が固まっているため、割と人のいる雰囲気が強いです。あまり道中で孤独や寂しさを感じません。
大須崎灯台と大須漁港
雄勝半島の東端。民家も多く、海沿いの漁村らしい雰囲気が安心感をもたらします。
大須崎灯台から見る大須漁港は、防波堤がハート型に見えるので、『恋する灯台』にも登録されています。ここから眺める太平洋の外海は壮大です。
ただし、寂しくて小さな展望台だった記憶の場所とは、雰囲気が正反対に掛け離れています。
雄勝半島/荒浜海水浴場/荒漁港
大須からは快適にドライブできる道ですが、記憶の場所と一致する海沿いの左カーブはありません。
荒浜海水浴場からは、雄勝半島の北東端に向かう荒れた舗装路があります。ただし車1台がようやく走れる程度の道幅です。狭すぎます。途中から広くなりますが、ここではない感じです。
寂しげな道が続くものの、どんどん高い場所に登っていくため、海からは離れていきます。
また、記憶の場所では左カーブの先にあった家や集落が見当たりません。地理的にも違うようです。
雄勝半島/船越漁港~名振
再び県道238号線に合流し、先に進むと船越漁港があります。
船越から先に進むと、雄勝半島の北端にある集落の名振へ。
船越湾と名振湾を分ける所に、いかにもそれっぽい左カーブがありますが、海面からの高さがあります。
また、ここからの眺めでは外海が見えません。見えるのは北方面の南三陸町の陸地です。
雄勝半島/名振~長面浦
名振から長面浦にかけて、海沿いには道がありません。ここだけ海岸線に道は無かったようです。震災で失われたわけでもありません。
結局、名振からは南に抜ける道を通って、再び雄勝湾(明神漁港)へ戻るしかありません。
当時、地図もナビもスマホも見ずに訪れたときは、半島の道路がループ状になっていることに気づきませんでした。明神漁港に出た後、再び右手に海を眺めながら、さっき通った道を東端に向けて走ってしまいました。
『おかしい!ここはさっき通った道だ!』という不思議体験を、まさかリアルで味わうことになるとは(笑)
雄勝湾の最奥部(雄勝半島の陸側スタート地点)まで戻った後、国道398号線を北に向かうと、北上川と新北上大橋にぶつかります。橋を渡らずに北上川の河口沿いに東へ向かうと、震災遺構の大川小学校があります。
雄勝半島/長面浦~長面新漁港
更に先へ進むと、雄勝半島の北西端にあたる長面新漁港に到達します。そこから先、名振方面に海沿いを南下しようとしても、前述のとおり海岸線には道がありません。行き止まりです。
当時のドライブでは、そんなややこしい入り方をした記憶がないため、長面浦の周辺は恐らく違うようです。
南三陸町の探索状況
北上川~南三陸町
新北上川まで来ると、河口沿いは完全に開けた明るい雰囲気です。国道398号線は交通量も多く、大型車もバンバン走ります。行先に不安を感じる海沿いの孤独なドライブ感はまったくありません。
それに当時は北上川を超えた記憶もありません。地図もナビもスマホもないドライブでも、さすがに北上川を超えればどこを走っているか明確なので、記憶に残るはずです。
それでも雄勝半島までの探索で手がかりが掴めなかったため、念のため北上川を超えて更に北方面を探索しました。
津波被害の復興整備で、河口沿いの道はすっかり新しくなりました。被害のなかった内陸の高い場所にある道路は、海沿いの道とは言えないため、小さな海沿いの展望台とは掛け離れています。
やはりこのあたりは、交通量の多さ、町が連続している、人も多いなど、記憶の場所へ向かう道の雰囲気とはまるで違います。
南三陸町/白浜岬~名無しのパーキング
白浜岬の周辺は、道が狭すぎます。
名無しのパーキングは、きたかみさくら公園との情報もあります。かなり海から高い場所にあり、パーキング自体も広すぎます。
南三陸町/北上漁港~小滝漁港
北上川を超えるとにぎやかな町が続きますが、北上漁港と小滝漁港の中間の海沿いが、ぽっかりと町の無い空白地帯になっています。よく見ると道らしきものも……?
しかし、実際に現地を歩いて探索したところ、舗装すらされていない農道でした。
途中の開けた場所は畑でした。
Googleマップの3D立体表示で見ると、それほど海から高くなさそうですが、実際に現地に行ってみると、かなりの高さです。とても海まで下りられるような場所ではありませんでした。
海岸の平らな岩礁は、記憶の場所に似ているのですが……
南三陸町/神割崎キャンプ場~三陸復興国立公園
ここまで来ると、もはや記憶の場所の条件やイメージとは全然違うのですが、念のため現地を訪れました。
しかし、キャンプ場のスタッフさんにも聞きましたが、残念ながら有力な情報は得られませんでした。
ちなみに、外海が見えるダイナミックな景観は、一見の価値ありです。
南三陸町/志津川~歌津~本吉~気仙沼
交通量の多い国道398号線です。ここから先の海沿いは、集落や町でずっとにぎやかです。
孤独を感じる寂しいドライブとは無縁です。距離的にも、当時ここまでの長距離ドライブではありませんでした。
何度か現地を訪れましたが、やはりここまで来ると『もう違うな』という感覚になりました。
記憶の場所さがし:探索行
1回目:ふらりと向かって見つからず
震災から7~8年が経った2018~2019年。復興の護岸工事はまだ道半ばといった頃。ふと思い立ちました。
『一度だけ訪れた海沿いの小さな展望台に再び行ってみよう』
場所ははっきりと覚えていない。でも、展望台と周辺の景色はよく覚えている。海沿いの道を車で走れば、すぐに気づくだろう。女川町から北に向かい、雄勝半島をぐるり。
……けれど、ふらりと向かった1回目の探索行は空振りに終わりました。
その時はたまたま見落としただけかもしれないと思い、次に注意して走れば見つかるだろうと思っていました。
2回目:注意して探したのに見つからず
2019年頃、改めて探しに行きました……が、やはり見つかりませんでした。1回目より注意しながら車を走らせたのに……
探索場所は1回目と同じ。女川町から北に向かい、雄勝半島をぐるり。前回たまたま見逃しただけだと思ったので、同じ道を注意深く走れば見つかるだろうと思ったのですが……
違う道だったのだろうか? それともやはり今回も見落としただけ? 目の前を通り過ぎたのに気づかなかった?
3回目:距離を伸ばしても見つからず
2019年頃、3回目は更に北へと向かいました。
北上川を超えて、南三陸町を通り、気仙沼へ。海沿いの道を車で走っていきました……が、それらしき場所は見つからず。
記憶では、対向車とのすれ違いが難しいような、狭く込み入った道ではありませんでした。だから海沿いをドライブ感覚で走ったとしても、その場所を通れば一発でわかるだろうと思っていました。
しかし、その思い込みだけでは、どうやら見つかりそうにないことがわかりました。
4回目:原付でじっくり探しても見つからず
2020年5月29日。前回まで車で走ったルートを、原付スクーター(HONDA Live Dio)で辿りました。
原付だと車よりもゆっくり走れます。気になる場所で気軽に停車するのも簡単です。
女川 → 国道398号線(リアスブルーライン) → 雄勝半島をぐるり。宮城県道238号線を半島海岸線に沿って北上し、名振から半島中央を南下。 → 国道398号線に戻り、北上 → 北上川を渡り、南三陸町を北上 → 気仙沼に到着
しかし、ゆっくりじっくりと走っても、展望台のある左カーブの記憶の場所は見つかりませんでした。
北上川より先、南三陸まで入ると何となく違う、という感覚は今回も感じました。
5回目:牡鹿半島も探したけど見つからず
2020年8月3日。前回までとは違い、牡鹿半島を原付で探索しました。
当時の記憶では『牡鹿半島よりも北を目指した』はずです。しかし、もしかしたら勘違いで、実は牡鹿半島から出ていなかった可能性があります。
今回は、牡鹿半島 → 女川(国道398号線リアスブルーライン) → 雄勝半島(宮城県道238号線)を重点的に探索しました。
しかし、牡鹿半島の入り組んだ海沿いの道を、原付でゆっくりじっくりと探したものの、記憶の場所にドンピシャな場所は見つかりませんでした。
6回目:聞き込みするが見つからず
2020年8月6日、前回5回目から3日後。6回目の探索。キーワードは聞き込み。
女川町交番でおまわりさんに聞き込みをしました。崎山展望台ではないかと教えていただいたものの、既に探索行で何度も通った道沿いでした。念のため訪れたものの、やはり記憶の場所とは違うことを現地で再認識しました。
その後、国道398号線リアスブルーラインを通り、雄勝町へ。毎回必ず立ち寄る雄勝町観光物産交流館は、もはや探索行のベースキャンプのような存在。
すぐ近くにある雄勝駐在所で、親切なおまわりさんに話を聞けました。しかし、まだ赴任して間もなく、震災前の詳細はご存知ないとのこと。
今回は震災遺構の大川小学校から長面浦方面も探索。しかし、長面新漁港で道は終了。
念のため長面浦に戻って、奥の荒れた道を探索するも、名振に抜けられるような道路は見つからず。そこで雄勝半島の探索を切り上げました。
そこから北上川に戻り、先の南三陸町へ。神割崎キャンプ場にある神割観光プラザで聞き込みをしたものの、目ぼしい情報は得られず。
神割崎から志津川湾沿いを進んだものの、これより先はやはり違う感じがしたので、国道45号にぶつかる丁字路でストップ。
過去の探索では、帰路を内陸方面から最短距離で石巻市街に向かい、仙台の自宅へ戻るルートを取っていました。でも今回は来た道を戻りました。
実は逆ルート探索は初めてでした。見える景色が違えば気付くこともあるかと思ったのです。
結果的に展望台は見つかりませんでしたが、これまでの順ルートでは気づかなかった『気になる探索ポイント』もいくつかあったので、後日あれこれ調べました。
震災の被災情報や道路工事情報をネットで調べたり、Googleマップの航空写真、3D表示、ストリートビューで、何十ヶ所も調べたりしましたが……残念ながら『ここだ!』という場所は見つかりませんでした。
7回目:牡鹿半島最終確認で見つからず
2020年9月28日
前回6回目から約1ヶ月半ぶり。
今回は牡鹿半島のみ。
ふらりと原付ツーリングで流しながら最終確認をするという感じでした。
やはり牡鹿半島は違う感じがする、という結論に至りました。
8回目:事前調査からの詳細探索で見つからず
2020年10月1日。宮城県図書館で震災前のゼンリン住宅地図、マップル道路地図、るるぶ(震災前発行)を調べました。
2020年10月6日。仙台メディアテーク図書館で、司書さんに地図を探してもらいました。震災関連の航空写真、東日本大震災の復興支援地図、東日本大震災の津波詳細地図
2020年10月9日。宮城県庁で聞き込み調査。公園を管理する都市計画課。道路を管理する道路課。
県営などの大きな公園以外は各市町村が管理しているため、県庁では詳細がわからず。道路も震災復旧で膨大な工事があったので、ピンポイントで場所を指定してもらえないと情報は絞れないとのこと。
2020年10月15日。また女川から雄勝の現地探索を実施。今回は図書館の地図などで当たりをつけた場所を重点探索しましたが、やはり見つからず。
こうなると、ドローン、シーカヤック、モーターパラグライダーなどで、展望台や道路の痕跡を海から見つけるしかないのかもしれない??
9回目:南三陸で徒歩探索するも見つからず
2020年10月27日。今回は女川、牡鹿半島、雄勝半島を経由せず、南三陸の石巻市北上町まで直行。
Googleマップ航空写真で、神割崎の手前の国道398号線と海岸の中間に、薄っすらと道路が確認できたので、実際に現地を歩いて入ってみました。しかし、わだちはあるけど舗装路ですらない農道で、海抜も高く、記憶の場所とは違う感じでした。
原付に戻り、少し南下し、大室漁港あたりをあてもなく探索するも、やはり手がかりは無し。
更に南下し、いつもの雄勝へ。逆ルートで雄勝半島を探索。特に目ぼしい情報も無く、今回の探索を断念。
10回目:牡鹿半島を逆ルート探索でも見つからず
2020年11月7日。牡鹿半島は、前々々回(7回目)に最終探索を終えたつもりでしたが、逆ルート探索はまだやっていませんでした。
なので、女川原発のある牡鹿半島の北東から東に向かって突端に進み、突端から南西の鮎川漁港を経由して、石巻の渡波まで探索しました。
残念ながらというか、やはりというか、目ぼしい情報は見つかりませんでした。
今後の探索予定
聞き込み調査
- 海沿いの集落で詳細な聞き込み調査
- 震災前の様子を知る人に聞き取り
- 役所(公園管理課、道路課)、警察、学校、商工会、運送会社、タクシー
しかし、今はコロナ禍。聞き取り調査はやりづらいので控えています。
探索の足が無くなりました
10回目の探索行の後、原付が不調になりました。アクセル全開でも全然スピードが出なくなりました。
加えて、ガソリンが駄々漏れしてるのか?と疑うレベルの減り方です。燃費が悪いどころの話ではなくなりました。特に雄勝半島はガソリンスタンドが皆無なので、今の減り方だと確実に途中でガス欠です。死にます。
というわけで、気軽に探索には行けなくなりました。
愛車 HONDA Live Dio(ライブディオ)S。20年も乗り、走行距離も6万kmを超え、7万kmに達しそう。
パンクしたり、エンジンベルトが切れたり、マフラー交換したりと、これまで何度も壊れ、その度に修理してきました。それでもエンジンだけはずっと元気に回っていました。
20年ものあいだ、修理以外にろくなメンテもしてこなかったのに、あのカブの平均寿命と並ぶ6万kmまで快調に走り続けたこと自体、ありえない奇跡とも言えます。
しかし、さすがに寿命が訪れたのかもしれません。ここまで乗り続けると愛着もわきますし、一応まだ走っているので、今すぐに買い換えるという気持ちにもならず……
また、中免(普通自動二輪)持ちなので、次に買い換えるとしたら400ccクラスのバイクを買うか、やはり普段使いを考えると最強の原付スクーターにするか、ならば原付二種の110cc~125ccクラスにするべきか、どうにも考えがまとまりません。2台まとめて購入するほど裕福でもなければ、2台駐輪する保管場所があるわけでもないので……
結局、今のところ家族共有の車と、壊れかけの原付Dioで事足りているため、思い切った次のアクションも選べないままです。
※その後、致命的な故障で修理不可となり、2021年8月25日で廃車となりました。
探索行はひとまず無期延期
これだけ現地に訪れても見つからないのであれば、ただ現地に行くだけではもう見つからないでしょう。
聞き込み調査をする覚悟はありますが、コロナ禍なのでさすがに自重しています。
そして調査の足(原付)が寿命。遠乗りは無理。
……そんなわけで、不本意ながら無期延期です。